昭和45年12月10日 月次祭        (末永信太郎)   №45-156



 そこからの信心ということが申されますけどね、そこからということは、どういう事であろうか、と。そこから、例えば、おかげを頂きまして、幹三郎がびっくりするほどのおかげを頂きまして、明日は、もう退院ということが決定しておるそうでございます。どういう風に考えましても、ただ、奇跡と言うより他ないような広大なおかげを頂いた。
 で、そういう例えば九死に一生を得た、と。それが接点におかげを受けたというだけでは、値打ちがない。ね。そういう、例えば九死に一生を得るほどしのおかげを頂いた、そのこと、そこから、そのことを境に信心の方向が変わった。例えば、これはまだ、本人の気持ちのことですから分かりませんけれども、自分でも高校を、工業学校を選ぶと自分で言いますし、お道の教師というようなこと、お道の教師にはならん、と。僕は僕の生き方で行くと、まあ、言うような子供ながらそういう考え方を持っておったらしい。
 (その他の?)子供達は、もう皆、もう小さい時から、小学校の作文なんかに若先生が、その、将来何になるかち言ったら、金光様の先生しかない。栄四郎なんか、もうこんな小さい時から、僕は親先生になるち言ってから、言いよりました。というようにですね、一つのそういう、この宿命といったようなものではなくて、むしろ、お道の教師ということに対する、何か憧れといったようなものを皆が持ってる。
 ああ、親先生になることを。ところがその、幹三郎だけはそうじゃなかった訳ですね。冗談にも、そう言わなかった。ところが、今度のいわば新しい誕生とも思われるほどしのおかげを頂かせて頂いて、たとえば、あの人の生き方がね、本気で私は、ね、お道の教師にならせて頂かなければならない。新しい、これ命を頂いたのだ、と。これからの命が、ね、道の御用に、人のひとつ取次助けられることのための、取次者としての修行を、これかはなさなければならない、といったような思いが出来、そこから発心された信心が、たとえば子供なりにも出来るとするなら。ね。
 いわゆる、そこからの信心が生まれたわけなんです。ね。そこからの信心とは、私はそういうようなことだと思う。ですから、やはり何かそこにですね、何かがそこへ、ひとつのきっかけというものがあるのだ。ね。だから、そのきっかけをきっかけのままになった、与えられても、それが、そこからの信心にならないとするならね、信心の向上がないと思うです。ね。
 この度、ご本部参拝のおかげを頂きました。私、日曜から(      ご用意?)して、そん、酔うた訳ではないけれども、吐き気がしたり、あちらへ参りましても、すぐお粥さんを炊いてもらった。もう、お粥さんを少しずつばっかり頂く。そして、それでもう、話す力がなくて、もう元気がない。ね。というような訳で、その上また、今度は色々と変わった御本部参拝でございました。皆さんが、どのように感じられたか分からんけれども。
 私は、そこからの信心がね、求められ、願われておるんだという風に思うんです。ね。かつてないことがあったんですから、御本部参拝。もう私、(   )初めて私は、今度は本当にその、正装でお取次ぎを頂かせてもらうのは、今度が初めて。いわゆる、紋付袴に意義を正して、お取次ぎを願う。皆さんは三十何年のことが、ここで私がお取次ぎを願わせてもらうことを、まあ、(かなえておられた?)。
 ちょうど、お取次ぎを願っておられるちょうどその日でしたけれども、前列に一人か二人かの先生方がお取次ぎを願っておられるということだけ。それで、私があの、いわゆる、(関所?)のようなとこがありますね。そこで、お許しを頂いて、金光様の前に出らせて頂くわけ。ところがその、合楽教会は参拝お届けの通知が来てありませんと、こう。
 いや、それが、実はこんなわけでしとりませんち。それで、あの、昨日若先生がお電話をこちらに、おそらく本部(きょうちょう?)か知りませんけれども、させて頂いておるという風でございますからと言うて、さあ、それから本部の方に電話をかける、(官憲の席で皆注目しておられた?)。ところが、私は知らん、私が知らんと皆が言うらしい。ね。
 それがその、今まではね、これはまあ、合楽の本当に悪い癖だと思うんですけれども。本当に素晴らしいものがあるかと思うと、何と言うですかね、神乍しくと言うでしょうか、もう実にだらしがないところ。いつもその、そういう切符を持って行かにゃ、あの、本部の方から頂くその通知を持って行かなければならん。行かなければならんのに、持って行ってない。
 ね。だから、それがなかったら、お届けは出来ませんち。ね。なるほど、金光様のお手元のところは空いて降ります。空いておりますけれども、いわば、一時間に五十名だけしか御取次なさらんことになっとります。だから、あなたが入られますと、先生方が何人もおられる。しかも、それを見ておる人は、お宅の若先生は私がよく存知上げとります、勝彦先生は。ね。
 ですから、情を使うなら、どうぞと言いたいところですけれども、ここでは、そんなわけには参りません。ですから、この度は向こうの方で、いわゆる、一般お届け。だから、これはまあ、他所の先生方でも連絡をしてなかったり、たくさんつかえておりますと、向こうの方で御取次を願われるわけですけれども、この度は、とりわけ、幹三郎のこともお礼を申し上げたい。また、二十日に控えておるところの報徳祭のお願いもさせて頂きたい。
 まあ、金光様の御取次を願いたいという一念でございますのですから、(   )は、まあ、仕方がありませんから、なら、学院生に、今そこに、待つ娘もおりますから、後で御取次やりましょう、と。だから、短いならば良いですと、こう言うわけですね。だから、私どもが、もう十二時にあそこへ並ばなければなりませんから、というわけで、まあ、仕方なしで頂いたです。
 ね。もう、今までかつてないことですよね。だから、神愛会時代には、なるほど、金光様のお取次ぎ(大祭の方を頂きます?)ということはいつもありましたけれども。それは、まあ、仕方がない。しかし、教会になってから、金光様の御取次が頂けない。せっかく持って行っとるお初穂は持ち帰らなきゃならないというようなことがありました。
 奥城に出ましたら、今度はあんなことも初めてでしたね。いつも、奥城の、教祖様のお参りがこう、たくさん、そこで御祈念をさせて頂きますけん、高橋さんな、ちゃんと真中に座っとんなさいますもん。ははあ、(水が落ちて場所ば取りに行ちゃりなさったばいな、と。だけど、まあ、その、何がうんこの、正月に普通なと、私は思いましたです?)場所ば取りに行って、先に。ね。
 だから、もちろん、なるほどそこに席はありました。けれども、さあ、御祈念をはじめましたら、お供えをしなければならないという風で、御祈念にいつもざわざわざわざわさせて頂いて、しんみりした御祈念が出けない。ね。というようにですね、もう、次から次とこう、何と言うかね。今まで、合楽じゃなかったような事柄が起きてきて。
 今日も私、こちらへ帰りがけ、小倉へ出ましてから、気分も悪かったし、(外へ?)。奥城に立ってから、小倉の奥城に立って御祈念をさせて頂いて、たった一分しか止まらないわけです。(乗ろう?)と思ったら、あの(   扉が    )しまうんです。ほおと、もう、そん時思いましたですね。はあ、これはもう、この寒空に、もうあんな格好しとりましょう、(ハッピ?)だけ。これはもう、ここらへんで今夜過ごさんならんかとまで、ちょっと芯から思いました。
 けれども、もう、とにかく開けてもらわにゃいかん。とにかく、一番前まで走って、一番後ろに乗っておりましたから。ところが、その一番目だけは開いてるんです。だから、まあ、やっと乗せて頂いたようなことでございましたけれども、本当、私は乗りそこなうようになかったかと、こう思いよる。と言うようにですね、次から次とこう、外れていくといったような。ね。
 だからです、いわゆるそういうこと。今度の、例えば御本部参拝というようなことをですね、いわば、境にしてというか。ね、そこからの信心が、これからの合楽にかけられておるのではなかろうかと、私は今日思いました。もう絶対、合楽に枯れておるものです、これが。今日は私、今日の報徳祭でおかげを頂きましたのは、ね。ですから、そこからの信心がです、いわば、神様が求めておられるのです。
 ですから、このことは有り難いことであったと、ね、お取次ぎは頂けなかった。それは、愛子が今日は、後で今日二時からお取次ぎを願って、まあ、詳しゅう色々と御取次を頂いてくれるに違いありません。今度愛子が、今日は神饌の方の係りだったそうでございますから、ゆっくり会えませんでした。けれども、古川に帰っております時に、ちょうど一時間ばっかり来ておりましたが、そん時に幹三郎に金光大神を送りたい、と。で、そのことを金光様にお願いをさせて頂いたら、金光様がね、金光大神お扉のところにですね、「神に向かう心」とお書き下げ下さった。私はそれを頂いてから、感動しました。金光大神と言やあ、もう教師信者はもちろんですけれども、それこそお道の信心者としては手放しの出来ない聖典であります。
 聖典にですね、その扉に金光様が、神に向かう心とお書き下げ下さった。これから、例えば、只今も申しますように、幹三郎が、ね、今度のいわば九死に一生を得た、と。いわば、不思議に助かった、と。だから、助かったその余生をね、道のために捧げることの決心に本人としてつくならば、これは、素晴らしい輝かしいことになるであろう。いわゆる、金光様が見通し、神に向かう心とお知らせを下さった。これからは、いよいよ神に向かう心に精進して行くことであろうと、こう思うのでございます。ね。
 どうぞ一つ、只今合楽の信心の上にです、そういう、例えばそこからの信心が求められておる時でございます。と、私は、ね、私をはじめとして、皆がそういう心構えを作らせて頂いて、何とはなしにやれやれ、と。あの幹三郎の一ヶ月間の間、それこそ、まあ、大変な張り切った信心が出けておりましたが、もう、命には別状ないと言われることになってまいりましたら、やっぱりそこに、こう、安易な気持ちが生まれたようにある。ね。
 そこからの信心を神様が求め給う。その、そこからの信心に対してです、私どもが一心の真を捧げての願いという信心。そして、今月は例えばそのことを通して、または、一年中の御礼を通して。ね。御礼を神様に奉る。御礼をさせて頂くための精進と、今月、信心の焦点を頂いております。ね。だから、私どもは今度の報徳祭を境に、そこからの信心。今日、私が申しましたような、そこからの信心。ね。
 合楽は素晴らしい、けれども、だらしがなかもんね、と言われるようなところがです、例えば、こういう、いわば大変なことなんですよね、実を言うたら。金光様のお取次ぎが頂けなかった。
 今日私は、それこそ張り切ってですね、初めて紋付袴に意義を正して金光様の前に出ろうとしたら、どっこい、待てがかかったんです。ね。だから、そこには人情を、今までは、だから人情で通してもらいよった。ね。この前も来とったのを忘れとる。だからと言うて、それを、まあ、ね。もう、とにかく、いつもそういう、そのだらしないことをしてるわけ。ね。
 けれども、これは、私は神乍なことである、と。ね。だから、今度の報徳祭を境にです、例えば合楽の信心が一段と、毅然としたものとでも申しましょうか。ね。いよいよ輝かしいごひれいになって来ることのためにね、私どもが総改まりに改まらせて頂いて。ね、おかげを頂いて参りたい。
 同時に、御礼を捧げての信心。いわゆる、その御礼のための精進。そういうきっかけを頂かせて頂いたことのための御礼が、今度の御本部参拝には入った、と。してみると、今までの御本部参拝よりも、もっともっと、意義の深い有り難いことになる、ということになるのじゃないでしょうか。ね。
 私どもが、ね、だから、その本当にこういう思いをさせて頂きました。けれども、そのことを境に合楽が総改まりに改まることが出けました。ね。そのことを境の信心とは、そういうことです。お互いの個人個人の問題でも、そのことが、おかげを頂きましただけではいけん。そのことを通して、おかげも頂きましたが、ね、そのことを、ね、そこからの信心が生まれてきた。大きく言うと、それ幹三郎なんか(    )。
 もう、それこそ新しい命が誕生した。しかも、その新しい命を、いよいよわが心が神に向かう心を、いよいよ高めて行き、道の取次ぎ者としての御用が、まだ若いながらも。ね。もう、私の命は自分の命じゃないのだ。神様の御用に使うて頂くために助けて下さったんだという自覚が本人に出けるなら。ね。そういう、そのことが、大変な輝かしい有り難いことになって来る。ね。本当に有り難い。
 おかげを頂いて、まあ、先日から黒衣のね、私は、もし亡くなったら、その黒衣を着せてお棺の中に納めようと思っておった黒衣のお供えを頂いております。で、昨日、まあ、文男先生がそれは一生懸命縫うとります。いわゆる、黒衣なんですね。あの、あれです、紋付袴。ね、に身を固めて、これから金光様の、いわば直弟子としてですね、ね、おかげを頂いて行くことであろうと、まあ、これは親の期待ですけど、本人がまたどう言うか分かりません。ね。
 けれども、もしそういう事になれば、いわゆる、そこからの信心が輝かしいものになってくる、と。私どもに様々な問題があります。だから、それをね、問題を問題として取り組んで、おかげを受けたというだけじゃなく、その問題を境に、そこからの信心が、私は出けなければ、信心の飛躍は望めないということになります。明日はまた、後から呼びよると、(行事があることでございましょうけれども?)、今、信徒会長がお話になりましたように、もう、何と言うても、無事退院のおかげが頂けたという事に対する御礼。
 今度はちょうど、小倉へ参りました時に、小倉の富永先生ご夫妻が、あそこへ出て頂いておりました。窓を開けましたら、先生がもう、つかつかとその前に、一番口に見えられましてね、先生おかげを頂きましたち言うてから仰います。先日家内に、あの時お願いに致しておりましたと、(         )。今度、幹三郎の手術に立ち会って下さり、それからあの、いわゆる治療のことなんかに、(じんどく?)して下さった三人の先生方(       )。
 それから、(   )先生、それから、(             )そのことが、4~5日前、富永さんが見えられてから、今度その、当時の先生は、今度の幹三郎のその、あまりにも見事なね、素晴らしい手術の経過というか、その、こういうことがあり得るだろうかというように、例えばここに固まってしまっておった、それこそ、かつてないほどしの手術が出けた。そのことをですね、そのことが御土産のようにして、今度は九大の教授としておかげを頂かれるということ。
 だから、自分の教授の後釜に、今の教授、この方は大変、日本一的な実力あるんで、持った方らしいんですけれども、大変、派閥が厳しいですね、御医者さんの世界は。あの、白い(  )という映画が、あれ以上らしいですよ。ですから、他の派閥から入れるという話が出けておると言う。
 どうでも、今度は、その教授も自分の後釜にこの先生を、とこう言うて下さるし、富永先生もそれを大変信用しておられたそうですから、どうでも、わざわざ小倉から御願いに見えました、そのことを。ね。それはもう、で、私はそのように申しました。ね。本人方は、それをおかげとかご利益のことを思っておられませんけれども、そのことに携わってくださった責任の、ある三人の先生方なのですから。ね。
 神様がご褒美を下さることだけは、間違いなかですよち。だから、おかげを頂きなさるですよと、富永さんに申しておりました。ね。教授の先生は、そんな風で、有り難いことに九大の方へ、まあ、言うなら栄転のようなことになられ、しかも幹三郎のそれが御土産のような形になって、今度12月20日には富永先生と二人で、それを学会に発表があるということでございます。で、そのための勉強があっておるのです。
 もちろん、その助教授先生もそのような訳です。いわゆる、教授という輝かしいおかげを、ご褒美を頂かれたんです。これは、恩着せだけでもなからなければ、その先生方に言うて分かりゃせんけども、私だけが有り難いなあ、と思うておるだけのこと。ね。
 ですから、皆さんが一心の真を捧げて、そのことに願い願い抜かれた。そのことの、例えばご褒美をです、ね、私どもの場合には、そんな安易なものではないでしょう。そこのところをです、頂き止めて行くことのためにも、その受け物を作ることのためにも、私どもがですね、本気で合楽の欠けておるもの、今まで、ただ押しやりけやりで来たもの。ね。いわば、合楽の一番欠陥と言われるもの。
 御本部参拝の時、度々にあちらに無理を言うて通してもらわんならんといったようなような、例えば、この一時だけでも、合楽がどのくらいだらしがないかということが分かるて。ね。素晴らしい、けれども、そういうところが、それを今度のことを境にです、そこからの信心が出けて参りますならばです、ね。
 だから、そのことが、私どもはそういう信心にならせて頂くことによってです、ね、神様のご褒美を受けさせてもらう受け物にしたい、と。今度の報徳祭を境に、それをもう、切願して帰ってまいりました。どうぞ。